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野脇(1)遺跡


2025年09月30日

 9月は2条並んだ溝跡の調査をしました。写真左側の溝跡の幅は2m、深さは1.0m、写真右側の溝跡の深さは1.1mで、同規模の溝跡が並行して検出されました。断面形は底面が広くなる箱形を呈しています。 写真右側の溝跡底面から曲げ物の底板と思われる木製品が出土しました。一方、写真左側の溝跡からは、堆積土の下位で面的に広がる炭化植物層を確認しました。溝跡からは年代を示す土器の出土が小数で、しかも小破片であることから、木製品や炭化植物の年代を測ることで、機能していた時期をより詳細に把握できると思われます。
土坑
遺構
出土遺物
30年ほど前に行われた隣接地の調査では江戸時代の曲げ物が出土していますが、今回出土したものは一体いつ頃のものになるのでしょうか?

2025年09月02日

 8月19日から22日までの4日間、大学3年生3名が調査に参加しました。それぞれ大型の柱穴を担当してもらい、調査(掘削)、土層観察、土層写真撮影までの工程を行ってもらいました。慣れない作業だったでしょうが作業員さんや職員のサポートを受けながら写真撮影まで完了出来ました。学生さん達にとって実りある4日間だったのではないでしょうか。
発掘風景1
孫のような年齢の学生さんを相手にして、教える方の作業員さんはとても楽しそうでしたし、学生さんも早々になじんで協力しながら掘っていました。
撮影風景
職員から撮影のポイントについて教えてもらっています。
撮影した写真
学生さんが撮影した写真です。なかなか良く撮れています。

2025年09月02日

 直径が1mを超え、柱の痕跡が40~60㎝ほどある大型の柱穴を複数基検出しました。柱の周りに焼土や焼けた粘土、大きめの川原石などを詰め込んで柱を固定するなど共通する特徴を有しているものもあり、それらの配置をみると4本柱の建物跡が復元できそうです。建物跡の時期は出土遺物から縄文時代晩期前葉~中葉である可能性が考えられます。
柱穴
柱の脇に焼土や焼けた粘土が詰め込まれています。
柱穴
同様に柱の脇に焼土や焼けた粘土が詰め込まれていますが、こちらの柱穴には川原石なども入っています。
柱穴
こちらの柱穴には川原石が多く入っており、中には石皿も含まれていました。また、割れた川原石も含まれており、後ほど他の柱穴から出土したものと接合を試みたいと思っています。
建物跡
4本柱の建物跡が復元できそうです。

2025年08月01日

 弘前市では連日35℃を超える猛暑日が続いているため、野脇(1)遺跡ではテントと遮光シートを設置して日差しを避けながら作業しています。内側の暑さ指数(WBGT値)は外側より3℃も低く快適です。
20250801発掘風景1
20250802見つかった土器1
温度計1
テント・シート内の暑さ指数(WBGT値)は厳重警戒の域で収まっています。
温度計2
外に出した瞬間 暑さ指数(WBGT値)は危険域に・・・・

2025年06月30日

 楕円形をした土坑から、土器が興味深い状況で出土しました。意図的に倒して置いたと思われる深鉢形土器の上から、入れ子状となった鉢形土器と浅鉢形土器が出土しました。お墓の副葬品だったかもしれません。
見つかった土器1
見つかった土器2
見つかった土器3
土器出土状況

2025年06月05日

 弘前市大字中崎に位置している野脇(1)遺跡の調査が5月8日から始まりました。
 野脇(1)遺跡は1991年、今から34年前に当センターで調査を行っており、縄文時代晩期の土器や石器、中世から近世にかけての陶磁器や遺構が数多く発見されました。特に、江戸時代の陶磁器は出土量やその種類において特筆される成果が上がっています。
 今回の調査区は、前回の調査区から150kmほど北に離れていますが、これまでに縄文時代晩期の遺構が見つかっています。
 今後調査は徐々に前回の調査区へと近づいていく予定です。縄文時代の遺構がどこから発見されるのか楽しみにしています。
野脇(1)遺跡から岩木山をのぞむ
野脇(1)遺跡から岩木山をのぞむ

土器出土状況
土器出土状況

見つかった土器1
見つかった土器2
見つかった土器