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青森市米山(2)遺跡


2020年12月4日

 米山(2)遺跡では、調査の結果、中世と縄文時代後期後葉の集落跡が見つかりました。中世の集落では、建物跡の周辺にカマド状遺構や井戸跡が分布している状況を検出しました。少なくとも500-600年くらい前の村の跡と見られます。遺物は、珠洲焼の擂鉢と青磁片が出土しました。数は少ないですが、遺構の年代観を得るためのとても貴重な発見となりました。
縄文時代の遺構は捨て場と土坑を検出しました。捨て場は、自然流路の窪みを利用して遺物が多数廃棄されていることが分かりました。遺物は、注口土器や深鉢形土器などのほかに、石鏃などの剥片石器、敲石などの礫石器が出土しています。製品類は、ミニチュア土器などの土製品のほか、ヒスイの可能性もある玉類や人の形に似た石偶などの石製品が出土しています。縄文時代の集落では、3,000-3,500年前、6本の柱を亀甲形に建てた掘立柱建物跡が環状に並んでいた状況が明らかとなっています。捨て場は建物跡の脇に流れている自然流路を利用していますが、集落全体で見るとこのような捨て場はほかに数カ所検出されており、出土遺物の分析を行うことによって、集落の特徴が明らかになってくると思われます。


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青森市米山(2)遺跡12月4日1枚目

遺跡周辺の景観
遺跡を南西方向から臨んでいます。


青森市米山(2)遺跡12月4日2枚目

捨て場の遺物出土状況


2020年11月13日

 10月は好天に恵まれ、遺物捨て場の調査も順調に進みました。米山(2)遺跡では掘立柱建物跡が環状に連なる集落跡であることがこれまでの調査で明らかになっていますが、今年度の出土遺物は建物跡群の脇に流れている自然流路の窪地状となった所に捨てられている状況が分かってきました。


青森市米山(2)遺跡11月13日1枚目

建物跡と捨て場の位置関係です。左側の黄色い土の上には六本の柱痕を持つ掘立柱建物跡が2棟連なっています。右側の砂利主体層(流路跡)が捨て場です。


青森市米山(2)遺跡11月13日2枚目

土層を観察するための写真です。黄色い砂と黒い土が交互に堆積していることから、砂が堆積した時期には流水があり、黒土が堆積したときは流水が収まり泥炭地状になっていた状況が分かります。遺物は写真中央の黒土から多く出土しており、窪地となったところに遺物が捨てられています。


青森市米山(2)遺跡11月13日3枚目注口土器と石1

壊れないで残存していた注口土器のすぐそばから黒、白色の玉石と共に緑色の石製品が出土しました。まるで土器の中からこぼれ落ちたような状況です。残念ながら土器の内部から玉石類は出土しませんでしたが、縄文人の宝物入れだったのでしょうか?


青森市米山(2)遺跡11月13日4枚目注口土器と石2

この緑色の石製品は硬玉(ヒスイ)か軟玉と考えられます。これらの石材は、青森県周辺では産出されず、また加工も非常に困難であることから、当時としてはとても貴重な品であったと考えられます。これと共に各色をした綺麗な玉石が出土したということは、縄文人が意図的に収集していたのかもしれません。


青森市米山(2)遺跡11月13日5枚目注口土器と石3拡大


青森市米山(2)遺跡11月13日6枚目

遺物の出土状況を示した写真です。遺物のまとまり(廃棄ブロック)が複数見つかっています。


青森市米山(2)遺跡11月13日7枚目

廃棄ブロックの一単位には注口土器がまとまって出土しています。注口部分を数えると7~8本ほどありました。


青森市米山(2)遺跡11月13日8枚目

岩偶と考えられる人の形をした剥片石器です。本捨て場からは岩偶を含む廃棄ブロックが数カ所見つかっていることから、遺物を廃棄する際に形代(かたしろ:神の宿るもの)としてお供えしていた可能性も考えられます。


青森市米山(2)遺跡11月13日9枚目

柱穴から縄文土器が出土した写真です。柱を抜き取った後に土器が納められたと考えられます。堆積土や周辺の状況から、中世(約500~700年前)に作られた可能性もあります。中世の人達が何かの拍子で、埋まっていた縄文土器を発見し興味を引きつけられたのでしょうか?彼らの思いが伝わってくるような発見でした。


2020年10月7日

 夏真っ盛りの8月4日から調査を開始した米山(2)遺跡では、中世面の調査を終了し、9月はその下に眠っている縄文時代の遺物捨て場の調査に移りました。
捨て場からは縄文時代後期後葉(約3,300年前)の土器とともに石鏃などの石器や翡翠(ひすい)製と思われる玉も出土しています。土器は深鉢、鉢、壺、注口土器など様々な器形のものが、潰れた、もしくは倒れた状態で出土しており、元の形を復元できそうなものが多いです。また、写真のように全く壊れずに出土したものもあります。最終的には段ボール箱で100箱程度の出土量が見込まれ、これから、どのようなものが出土するのか楽しみです。
このところ過ごしやすい天候になったこともあり、作業員さん達がとても楽しそうに仕事をしています。


青森市米山(2)遺跡10月7日1枚目作業風景1
青森市米山(2)遺跡10月7日2枚目作業風景2
青森市米山(2)遺跡10月7日3枚目作業風景3
青森市米山(2)遺跡10月7日4枚目注口土器出土状況
青森市米山(2)遺跡10月7日5枚目遺物出土状況

2020年9月4日

 青森市米山(2)遺跡の調査が8月4日からスタートしました。
本遺跡の調査は、新青森県総合運動公園整備事業に伴い平成8年度から断続的に進められており、今回は第11次調査となります。
これまでの調査で、縄文時代早期・中期・後期の集落跡が発見されているほか、近くの山野峠遺跡や上野尻遺跡などで縄文文化にまつわる数々の発見が知られており、青森平野の中でも歴史的遺産が豊富なエリアとなっております。
今年度の調査では、早速、中世の掘立柱建物跡や、煮炊きに使われたと考えられるカマド状遺構が姿をあらわしてきています。 本遺跡一帯の発掘調査では、以前から中世の一般集落とみられる村の跡がみつかっていますが、具体像の解明はこれからで、村の名前も定かではありません。
遺跡周辺には、古寺跡と伝わる場所に、樹齢800年ともいわれる「宮田のいちょう」(青森市指定天然記念物)が2本勢いよく伸びているほか、宮田集落の念心寺に移されたという青森市内唯一の板碑、「延文の碑」(延文2年(1357))も200年ほど前まで古寺跡にあったという記録が残るなど、中世のロマンが感じられる土地柄となっています。
今後、下層の縄文時代後期後葉の集落跡を調査する予定です。


青森市米山(2)遺跡9月4日1枚目

作業風景


青森市米山(2)遺跡9月4日2枚目

作業風景


青森市米山(2)遺跡9月4日3枚目

カマド状遺構が密集して検出されました。


青森市米山(2)遺跡9月4日4枚目

カマド状遺構を完掘した状況です。